寄り添うこと・・・(74)

 認知症のある人の家族に着目し研究を進め『家族はなぜ介護をしてしまうのかー認知症の社会学』(世界思想社)を上梓された木下衆さんへのインタビューで、ケアマネジャーの家族支援について興味深い内容がありました。
(心を打たれた内容があったので、中央法規「ケアマネジャー」掲載文章を抜粋してご紹介します)

 私たちが生活を送るうえで「あたり前」と捉えている事柄に疑問をもち、「なぜ?」と問い直す社会学。社会学では、法律や制度で決まっているわけでもないのに、なぜか人々が『こうすべき』と思っていることを社会規範と呼びます。認知症の家族が積極的に介護に関わらなければならないという法律や制度はないにもかかわらず多くの家族が、自ら認知症について勉強し、善意から『介護したい』『介護すべき』と自発的に介護に巻き込まれ、「身近にいる私が、もっと早く変化に気付いていたら」等、責任を感じる人が多くあります。

 ほんの30年ほど前には、認知症になれば『その人らしさ』が失われてしまうという認識で、一人で動くのは危ないからと身体を拘束するなど善意から行われてきましたが、現在では、認知症になっても『その人らしさ』が保たれ、関わり方次第で『その人らしさ』を発揮できると捉えるようになりました。それは認知症の人にとって間違いなく望ましい関わり方である反面、家族は介護においての代わりのいない『特権的な存在』へと追い込まれているのではないでしょうか。専門職は、認知症の人がこれまで歩んできた人生を知りません。そこで、よりよいケアを願う家族には、介護の専門職などに認知症の人のライフヒストリーを伝える役割が生まれます。そして、『なにがこの人らしい生き方かは、私が証言するしかない』などとケア責任を抱え込むようになるのです。『特権的な存在』であるがために、家族の中には認知症の人のすべてを把握しなければならないと考える人もいます。そういう家族に対して、ケアマネジャーは「全て完璧に把握していることなどありえないですよ」と違った見方を提供する存在であって欲しいです。

 今ケアマネジャーにもとめられる家族への支援のあり方について、少し考えさせられる内容です。
ケアマネジャーが作成する認知症の方のケアプランも「その人らしさ」を追求するからこそ極めて慎重に、家族が問題を抱え込んでしまうことのないよう、単に利用者個人の問題ではなく、社会全体の問題に直面しているという視点で臨んでいきたいものです。

12月 朝の出勤時の風景