寄り添うこと・・・(76)

2021年から始まる制度の改定について

今年は暖冬。と言っても雪が散る寒い日もありましたね。
もうすぐ桜の咲く季節。心は浮き立ちますが、「桜を見る会」騒動で、美しい桜の花もすっかり汚名を着せられた感じです。
さて2021年の介護保険改定内容ですが、ケアプランの有料化などは見送られ、以下の2つが決まりました。

1.補足給付に関する給付のあり方:ショートステイや入所の際の食費・居住費の減額制度について、第3段階の新たな区分条件を設け、資産基準を細分化します。
食費の補足給付は、一日あたりの上限額が見直しされます。第2段階は600円(現行390円)、第3段階①1000円(現行650円)、第3段階②1300円(現行650円)となり、入所者は月額2.2万円の上乗せになると言われています。

2.高額介護サービス費:現行の44400円上限について、年収770万円以上は93000円に、1160万円以上は140100円に、医療保険に合わせて引き上げます。

年金額や貯蓄額により、利用料(高額介護サービス費)の上限額を引き上げ、食費・居住費の減額を引き下げるというもので、小金を持っている高齢者からは絞り取るだけ絞る取るという国のやり方に怒りを感じます。全日本民医連が行った「介護保険施行20年調査」の中でも、介護保険利用料が3割になり、サービスを削っている事例が多くありました。

いま国会では税金の私物化が大問題になっていますね。政治家や官僚までが、私たちの血税を私物化し、それを追求されても反省のかけらも見せない異常な事態です。高齢や障害を理由に、健康で文化的な生活を阻害される必要はないと思います。何より私たちの三大権利である参政権を最大限行使して、税金の使い方をチェンジしたいです。(憲法15、25、30条)
こう考えると、私たちの暮らしや社会の中で起こる事象はすべて憲法を中心に正していけるのではないかなと。侮れない今さらの憲法、もう一度前文から読み直してみませんか。

寄り添うこと・・・(75)

確定申告について

年が明けて1か月が経ちました。早く感じるのは年のせいでしょうか?

そろそろ確定申告の時期ですね。確定申告はされていますか?消費税も上がった事ですし、戻ってくるものがあればうれしいですね。

ここでは障害者控除と医療費控除について説明します。

障害者控除は身体障害者手帳を持っていれば該当しますが、介護認定を受けている方でも、寝たきり度がB2以上もしくは認知症高齢者の日常生活自立度がⅡa以上の方は障害者控除対象者認定書をもらえば障害者控除が受けれます。障害者控除対象者認定書は区役所の介護保険課で申請してみて下さい。所得税も住民税もかなり軽くなるので該当する方はぜひ確定申告をした方がいいと思います。

もう一つの医療費控除は、生計を一にしている家族分も合算して10万円(例外あり)を超える分が控除されます。入院したり介護保険の施設に入所している方は結構該当すると思われます。通院のための交通費(タクシーは駄目だが例外あり)や風邪薬など薬局で購入した医薬品も含まれます。結構かかるおむつ代も、おおむね6か月以上寝たきりで医師が発行する「おむつ使用証明書」をもらえば控除の対象になります。あと介護保険の在宅のサービスで、訪問看護・訪問リハビリ・居宅療養管理指導(往診の一部)・通所リハビリ・老人保健施設でのショートステイなどの利用料も含まれます。この医療系のサービスを利用している場合のヘルパーや訪問入浴・デイサービス・特養でのショートステイも対象となります。これらを含むとかなりの方が医療費控除を受けれると思います。面倒ですが一度調べてみる価値はあるかもしれませんよ。詳しくは国税庁のホームページを検索して下さい。それが難しい方はケアマネかわかりそうな人に聞いてみて下さい。

どちらも5年間さかのぼれますので、特に障害者控除の対象かどうかは調べた方がいいかもしれませんね。頑張りましょう。

寄り添うこと・・・(74)

 認知症のある人の家族に着目し研究を進め『家族はなぜ介護をしてしまうのかー認知症の社会学』(世界思想社)を上梓された木下衆さんへのインタビューで、ケアマネジャーの家族支援について興味深い内容がありました。
(心を打たれた内容があったので、中央法規「ケアマネジャー」掲載文章を抜粋してご紹介します)

 私たちが生活を送るうえで「あたり前」と捉えている事柄に疑問をもち、「なぜ?」と問い直す社会学。社会学では、法律や制度で決まっているわけでもないのに、なぜか人々が『こうすべき』と思っていることを社会規範と呼びます。認知症の家族が積極的に介護に関わらなければならないという法律や制度はないにもかかわらず多くの家族が、自ら認知症について勉強し、善意から『介護したい』『介護すべき』と自発的に介護に巻き込まれ、「身近にいる私が、もっと早く変化に気付いていたら」等、責任を感じる人が多くあります。

 ほんの30年ほど前には、認知症になれば『その人らしさ』が失われてしまうという認識で、一人で動くのは危ないからと身体を拘束するなど善意から行われてきましたが、現在では、認知症になっても『その人らしさ』が保たれ、関わり方次第で『その人らしさ』を発揮できると捉えるようになりました。それは認知症の人にとって間違いなく望ましい関わり方である反面、家族は介護においての代わりのいない『特権的な存在』へと追い込まれているのではないでしょうか。専門職は、認知症の人がこれまで歩んできた人生を知りません。そこで、よりよいケアを願う家族には、介護の専門職などに認知症の人のライフヒストリーを伝える役割が生まれます。そして、『なにがこの人らしい生き方かは、私が証言するしかない』などとケア責任を抱え込むようになるのです。『特権的な存在』であるがために、家族の中には認知症の人のすべてを把握しなければならないと考える人もいます。そういう家族に対して、ケアマネジャーは「全て完璧に把握していることなどありえないですよ」と違った見方を提供する存在であって欲しいです。

 今ケアマネジャーにもとめられる家族への支援のあり方について、少し考えさせられる内容です。
ケアマネジャーが作成する認知症の方のケアプランも「その人らしさ」を追求するからこそ極めて慎重に、家族が問題を抱え込んでしまうことのないよう、単に利用者個人の問題ではなく、社会全体の問題に直面しているという視点で臨んでいきたいものです。

12月 朝の出勤時の風景