訪問看護に花は咲く91

コロナ禍での様々な制限により人との交流が減ったという人が増えています。家族や友人との会話が多い人のほうが「健康状態が良い(主観)」という内閣府の調査結果もあり、人との交流やコミュニケーションの重要性を改めて感じます。
長男が大学生の頃の話です。グリークラブという男声合唱部に所属していました。年に1回の定期演奏会の場所はクラシックのコンサートなども行われている比較的大きな規模のホールでした。「こんな大きなホールで大学の部活の演奏会をやるなんて、そんなに観客は集まらないだろう」と思っていたのですが、毎回満員に近い状態です。中でも高齢者が多いのに驚きました。
長男にその理由を尋ねると『コミュニケーション技術』とのこと。高齢者が多く集まっている場所に行って演奏会の宣伝をすることが多いそうですが、話下手の長男にそんな技術があったのかと不思議でした。先輩から教えられたことは、「そうなんですね」「すごいですね」「相槌をうつ」の3つ。その技術を忠実に守って聞くうちに、その人の昔話になることもあるそうですが、ちゃんと演奏会にも来てくださるそうです。直接の関連はわかりません。家族や友人の多さではなく、「話を聞いてくれる人がいる」ことが大事なのかもしれません。

訪問看護に花は咲く90

今、世界中で新型コロナウイルスの脅威にさらされており、終息の気配も見えません。ワクチンは、いつになったら打てるようになるのでしょうか…。マスクやゴーグルに、手洗いそして消毒をしながらの生活。自由に外出もできずストレスのたまる日々を過ごしておられることと思います。

そんな息苦しさも感じる生活の中でも楽しみを見つけようと、リビングから窓越しに見える庭の木々のそばに、みかんを半分に切って置いてみました。すると、メジロがみかんを食べに来てくれるようになったのです。最初は一羽だけが食べていましたが、よく見るとその上の木にもう一羽とまっています。メジロはつがいで来るそうです。一緒に食べることはなく、一羽が食べているときもう一羽は見張りをしているような感じでした。実は、メジロがみかんを食べにくるようになってから、ヒヨドリも食べに来るようになっていたので、ヒヨドリを警戒していたのでしょうか…。何週間かたったある日のこと、窓の外を見ているとメジロ二羽が一緒に仲良くみかんを食べている姿を初めて見ることができたのです。少しはメジロもリラックスしてくれたのかな…。なんて思いながら時間を忘れてみていました。そんな姿を見ていると、気持ちがほっこりしてきます。

今はまだ大変な時ですが、感染対策と体調管理をしながら小さなことに楽しみを見つけ頑張ろうと思っています。

訪問看護に花は咲く89

厄災祓(はら)いの「上巳(じょうし)の節句」と「雛祭り」

3月3日は、五節句の二番目「上巳の節句」にあたる。上巳とは「じょうみ」とも読まれ、本来、中国古代では3月の最初の巳(み)の日に、水辺で身体を清め、宴会を催し、厄災を祓うという風習があった。この中国の節句の行事と、日本に古代から伝わる禊祓(みそぎはら)いの思想や、災い・穢(けが)れを人形(ひとがた)に移して川や海に流す「流し雛」などの風習とが混じり合い日本ならではの上巳の節句となっていった。室町時代末頃、この「流し雛」と平安時代から公家の女児の人形遊びであった「ひいな遊び」が結びついて雛祭りが生まれる。江戸時代になり、3月3日が五節句に定められると、上巳の節句に雛祭りを行うことが定着していった。雛祭りは女児の成長を祈るという意味だけでなく、厄災や穢れを祓うという意味も込められている。

現在、我々人間は、新型コロナウイルスに悩まされて1年以上の時が経ちます。生活様式も一変しました。2月17日から医療従事者へのワクチン接種が始まり、ワクチンによる新型コロナウイルス減少の期待もあるが、この時節、厄災や穢れを祓うという意味の込められた上巳の節句や雛祭りにもあやかりたいものです。

雛壇の配置は「京都式」、それとも「関東式」?

京都では雛壇から見て左に男雛、右に女雛を飾る。関東はその逆である。京都の飾り方が古式であるが、これは古来、左が上位とされ、尊ばれたことによる。中国の故事によると、天における不動の北極星を背に、皇帝は南を向いて座るという考え方があり、皇帝が住む皇居は南向きに造られた。そして、太陽が昇る方(東)を上位、沈む方(西)を下位と考え、位の高い人は南を向いて左に位置した。この中国の古来の考え方を京都の雛壇の配置は引き継いでいる。現在ある京都御所は同じ配置になっている。この考え方が残っているものとして、例えば落語では目上の人に話すときは舞台から見て左を向いて話し、目下の人に話すときは右を向いて話すという形式がある。演劇などの舞台も舞台から客席を向いて左を上手(かみて)、右を下手(しもて)と呼ぶことも、この考え方から来ている。

関東の雛壇の配置が逆になったのは、明治以降、欧米の影響を受けて、欧米の形式にならって、天皇、皇后の立ち位置が逆転したことによる。
皆さんが見てきたり、飾ってきた雛壇の配置は「京都式」、それとも「関東式」?