訪問看護に花は咲く89
厄災祓(はら)いの「上巳(じょうし)の節句」と「雛祭り」
3月3日は、五節句の二番目「上巳の節句」にあたる。上巳とは「じょうみ」とも読まれ、本来、中国古代では3月の最初の巳(み)の日に、水辺で身体を清め、宴会を催し、厄災を祓うという風習があった。この中国の節句の行事と、日本に古代から伝わる禊祓(みそぎはら)いの思想や、災い・穢(けが)れを人形(ひとがた)に移して川や海に流す「流し雛」などの風習とが混じり合い日本ならではの上巳の節句となっていった。室町時代末頃、この「流し雛」と平安時代から公家の女児の人形遊びであった「ひいな遊び」が結びついて雛祭りが生まれる。江戸時代になり、3月3日が五節句に定められると、上巳の節句に雛祭りを行うことが定着していった。雛祭りは女児の成長を祈るという意味だけでなく、厄災や穢れを祓うという意味も込められている。
現在、我々人間は、新型コロナウイルスに悩まされて1年以上の時が経ちます。生活様式も一変しました。2月17日から医療従事者へのワクチン接種が始まり、ワクチンによる新型コロナウイルス減少の期待もあるが、この時節、厄災や穢れを祓うという意味の込められた上巳の節句や雛祭りにもあやかりたいものです。
雛壇の配置は「京都式」、それとも「関東式」?
京都では雛壇から見て左に男雛、右に女雛を飾る。関東はその逆である。京都の飾り方が古式であるが、これは古来、左が上位とされ、尊ばれたことによる。中国の故事によると、天における不動の北極星を背に、皇帝は南を向いて座るという考え方があり、皇帝が住む皇居は南向きに造られた。そして、太陽が昇る方(東)を上位、沈む方(西)を下位と考え、位の高い人は南を向いて左に位置した。この中国の古来の考え方を京都の雛壇の配置は引き継いでいる。現在ある京都御所は同じ配置になっている。この考え方が残っているものとして、例えば落語では目上の人に話すときは舞台から見て左を向いて話し、目下の人に話すときは右を向いて話すという形式がある。演劇などの舞台も舞台から客席を向いて左を上手(かみて)、右を下手(しもて)と呼ぶことも、この考え方から来ている。
関東の雛壇の配置が逆になったのは、明治以降、欧米の影響を受けて、欧米の形式にならって、天皇、皇后の立ち位置が逆転したことによる。
皆さんが見てきたり、飾ってきた雛壇の配置は「京都式」、それとも「関東式」?