寄り添うこと・・・(56)

老いはどこから・・・

梅雨の瞬きの青空
夏に向かってゆく季節ではありますが、さわやかな風は秋を感じさせる今日この頃です。
秋と言えばなかなかにものさみしさを感じさせます。
人間の老いにも似た季節です。

私自身のことですが、最近は視覚、聴覚が鈍くなってきたのを感じます。たちまちに「前とはちょっと違う」という違和感を感じるようになりました。
大勢で話していると、聞き漏らすことが増えてきました。もともと近視で、遠くの景色はぼやけていましたが、ついでに近くのものまでぼやけてきました。以前と比べるとコミュニケーションがスムーズにいかないことが増え、生活のしづらさを少しだけ感じるようになりました。

年を経るということは、人間にとって当たり前の営みの結果でもあるのですが、マイナス思考に走ってしまうのはなぜでしょうか。若くても、小さくても、生きづらさは誰もが抱えている問題です。高齢になればなるほど身体的なハンディを抱えて、それが生きづらさにつながっているとしたら、ちょっとした手助けがあればどんなに自立した、尊厳のある暮らしが続けられるでしょうか。

生活援助や通所介護(デイサービス)、福祉用具貸与(歩行器や手すり)などのいわゆる福祉系サービスは、老いと向き合ったとき、ちょっとした手助けをしてくれるなくてはならないサービスだと思います。
国は「自立支援」をうたい文句に、介護サービスの中でも、とりわけ福祉系のサービスの報酬を下げ、いずれ介護保険から外すことを考えているようです。重度の寝たきりにならないとサービスが使えないのは本末転倒です。病気も早期発見、介護も早期対応がとても大切だと思うのです。

高齢者の方々の支援に関わって、これまでの長い歴史を理解することと合わせて、これからの未来をどう描くのかということを考えるようになりました。「最後」ではなく、「これから」、「終末」ではなく「未来」。生きている限り自分の明日をどんなに価値あるものにしていくのか。
一緒に考え、見つけていけるサポーターでありたいと思う今日このころです。これも私の「老い」のなせる業でしょうか。