訪問看護に花は咲く38

1101以前は、在宅で最期を看取ることが一般的な時代もありましたが、医療機関が整い、介護施設も増えてきたことから、在宅で最後を看取る機会が減ってきました。しかし、人生の最期を自宅で、家族に見守られながら迎えたいと考える方は非常に多いです。
在宅での看取りには、本人に対する身体的・精神的ケアと医療処置が必要になります。そして、本人への支援の一方で、家族への支援も重要とされています。在宅で看取りをするためには、多くの医療・介護サービスを利用し、環境と体制を整えていく必要があります。


訪問看護では、下記に記述したケアを行っています。

【身体的ケア】
熱や血圧などのバイタルサインを測定し、清潔の保持、栄養管理、水分補給、口腔ケア、排泄の介助などの身の回りのケア
【精神的なケア】
コミュニケーションを取り、居心地のいい環境を整えて安定を図る
【家族ケア】
相談しやすい環境を作り、看取りの心の準備を整える、専門家とともに心身の安定と回復が期待できるサービスの紹介や配慮、グリーフケア(遺族ケア)

特に、家族にも一定の医療行為が求められることがあり、技術のサポートも行います。
可能な限り穏やかに、自分らしくご利用者様とご家族が安心して看取りを迎えられるようお手伝いをしています。

訪問看護に花は咲く37

10p-2この秋も、看護学生さんが訪問看護の実習にやってきます。

当事業所では、看護学校二校の実習受け入れをしており、約三週間の実習期間に学生さんが二人一組になって臨みます。

自分が看護学生の頃は、「在宅看護論」という教科自体がなく、訪問看護の実習期間もたった一週間と短いものでした。しかし現在では、実習前に指導者が受け持ち利用者さんを決め、オリエンテーションの後、利用者さんのお宅にお邪魔して、在宅療養の実際を見せていただきます。そこから受け持ち利用者さんの看護計画を立案し、訪問時に計画に沿った実践を可能な範囲で行っていくことが必須となっています。実習期間のうちに一日は、ケアマネジャーさんに同行し、その役割を学びます。

今や、看護学生さんの年齢層も実に幅広く、高卒者を中心に、大卒者、社会人経験者、子育て真っ最中のお母さんもおられます。

学生さんの性格も実に様々で、笑顔が多くハキハキとし、ムードメーカーになるようなタイプや、知識が豊富で勉強熱心だけど、シャイでコミュニケーションが少し苦手なタイプなど…。連日の実習に加え、帰宅しても実習記録に追われるため、睡眠不足な学生さんも多いようですが、実習に来た学生さんたちは、将来どんなナースになるんだろう… 指導者は、 終了時にその実習が合格か否かの評価を迫られることもあり、つい未来の彼等の姿に思いを馳せてしまうのです。

訪問看護のことをどこまで知り、理解してもらえばよいか…と考え出すと難しく、肩に力が入ってしまいます。しかし、学生さんからの感想や質問を通して、逆にこちらにも新たな学びがあったり、はつらつとした若い人が訪問してくるだけで、表情や言動がいきいきとしてこられる利用者さんを目にしたりすると、「教える」だけではなく、「一緒に勉強する」という姿勢で関わっていくことが大切なのだと気付かされます。

…今度の学生さんはどんな人たちかなぁ。。

訪問看護に花は咲く36

「昔戦争があった…」

hu8月15日は71回目の終戦の日でした。

訪問している方々には戦争体験をされた方もおられます。
「衛生兵で中国に渡って、歩いてインドまで行った」
「買い出しに行った先で米軍機に狙撃され、そのまま地面に倒れ込んだ。死んだかと思った」
「戦争中に満州に渡って終戦で帰国した。駅で座りこんでいるとあまりにもみすぼらしく思われたのか、知らない人がおにぎりをくれた」
「夫が徴兵されて集合場所までそっとついて行った。電信柱の影から見た姿が最後。その時はお腹に子どもがいると知らなくて、夫は自分に子どもがいることを知らないまま死んで行った」などお話しを伺うことがあります。

私の親は終戦時3歳、ほとんど戦争の記憶はありません。
身内に戦死者はなく、戦争の話しはどこか遠いところのような感じがしていました。
私が20歳になるまでは…

母方の祖父が徴兵され、遠い南方戦線で亡くなったことを知りました。
その島の部隊1500人中生き残ったのはわずか12人。
戦死通知だけで髪の毛1本も戻ってこなかったそうです。
母は1歳未満で別れた父の記憶はありません。
戦後祖母は再婚したので、私はその事実を知りませんでした。
この話しをしてくれた時の母は、これまで見たこともない辛そうな顔でした。
戦争の記憶がなくても、戦争はいつまでも人を苦しめるのだとその時初めて感じました。

憲法改正の動きや安保法制施行など、きな臭い現在を「まるで戦前のようだ」と言う声を聞きます。
祖父の命日と終戦の日に、今を絶対に戦前にしてはならないと誓いました。